自律神経やってます | Office Aina

「傷つきながら働く人を"0”に!」
厚生労働省人材開発支援事業
「企業内キャリアアップ面談」「人材育成企業内研修」担当

自律神経やってます

自律神経やってます



みなさんは仕事の研修などで初めての人と会うとき
どんな自己紹介をしていますか?


私は自己内観系のワークショップやスキルアップの研修などに参加したとき、
「自律神経やってます」という自己紹介をします。


「仕事はキャリアコンサルタントです」と話すと
たいてい「目指したキッカケは?」なんて話になります。
そこで「実は自律神経やってまして・・・」と話しだす次第で。

感覚としては「冷やし中華やってます」みたいな感じでしょうか(笑)

自律神経やってます!



この前、いつものように「自律神経やってます」と自己紹介したら
「やってますって(笑)、おもしろいね!」と初めて言われました。

私にとって「自律神経やってます」は至極当然の表現方法だったので
そこに引っかかる人がいるとは思ってなくて驚きました。

確かに、よくよく考えてみれば「私は自律神経失調症になりました」と
多くの人は表現するのかもしれません。

なんで私は「やってます」という表現をするんだろう?と自分でも疑問に思い、
なんでそんな表現をしているのか?をちょっと考えてみました。


怪我したのと同じノリ


若かりし頃、仲間内でバスケットボールのチームを作って活動していたとき、
私はチビッ子センターで相手からの体当たりなども当たり前のようにありました。

痛いのは同じ

立方骨骨折の疑いと言われた酷い捻挫(1ヶ月松葉杖生活)に始まり、
右膝は相手の膝が入って靭帯伸びちゃうし(これもかなり痛かった)
左膝は大学時代に半月板の手術してるし(軟骨も削ってたりして)
最後は練習中に左足首捻挫・・・

と言うことで満身創痍、両足コンプリート!と友人に報告したら
「コンプリートちゃうわ!」と心配半分呆れ半分。

さすがに三十路を越えて、両足コンプリートのケガをしたのと、
前からフラダンスに興味があったのでバスケットボールは辞めちゃいました。


いま、フラダンスをしている中で古傷が傷んで泣きそうになったり
痛さを庇うため影響が出て歪みが生じたりしていて
身体のメンテナンスに気を配るようになりました。


そこで整形外科や整骨院の初診で説明するときに
「両足首、両膝やってまーす」と報告するんです。

詳細説明するのが面倒だからなんだけど、
たいてい伝わるので、まあいいかと。


この前なんて逆に詳細説明しましょうか?と言ったら
「恐ろしいのでいいです」と先生に断られた(笑)

私にとって自律神経失調症になったのは、そのノリと同じなんだ、と。
「右足首やっちゃいましたー」と「自律神経やっちゃいましたー」は同じ。

なりたくてなったわけじゃないし、
バスケットボールの中で人に揉まれてケガするのと
ストレスに揉まれてケガする(心が傷つく)のと
何が違うのか?と感じるようになった。



もちろん実際自律神経失調症になったときは、

なんで楽観主義な自分がなったのかもわからなかったし
(実はまじめだったらしい)

治療らしい治療もしてもらえなくて不安だったし
(ストレス源のダメ上司と離れるために休職しただけで、
カウンセリングなどはしてもらえなかった)

そもそも自分はずっとこのままなんじゃないか?

社会不適合者なんじゃないか?と毎日不安だったし。


そしてこの時期の私は、

心身症になる人は精神的に弱い人、や
好きなことができるのに働けないのはワガママ、
という偏見とも闘っていたので

自分が自律神経失調症だということを人にも言えなかったし、
認めたくもなかったような気がする。

自律神経失調症になった自分を責めていたような気もするし、
申し訳なく思っていたような気もするし。


実際に自律神経失調症と診断されたときは、
周りの人になんて言われるんだろう?と思って報告するのが怖かった。

もともと辛いことを笑顔で話す性格であることや、
なったものは仕方ないじゃんという諦めの気持ち、
ちょっと人より神経が繊細なだけだし、
何より仕事を辞めて療養することをよしとしてくれた環境があったからのも手伝って、
何年も経って、寛解状態になって(あえて寛解と言う表現をしています)
「自律神経やっちゃいましたー」と言えるようになったのかもしれない。

私のように「やっちゃいましたー」と明るく言う必要はないと思うけど、
自律神経失調症をはじめ心身症になったとしても、
それは恥じることではないんじゃないかなって思います。

だって、ちょっと人より繊細なだけ、ちょっと人より敏感なだけだから。


人より繊細でもいいじゃないか



私が寛解、という言葉を使うのには意味があります。

これ以上はダメ~

寛解とは
「治療をつづけながら、病気の症状がほぼ消失した状態。
再発しないように治療の継続や定期的な検査が必要な状態」
のこと。


私が自分の自律神経失調症について「寛解」と言う言葉を使うのは
病気が治っていないから、ではなく
自分にはその要素があると知っているからです。


もしいま、最初に自律神経失調症になった時と同じ状況に陥ったとして、
絶対に罹患しないと言い切れる自信はありません。



だって人より繊細で真面目なんだもん、仕方なくないですか?

何かのキッカケがあれば同じ状態になってしまうかもしれない。
だからあえて「寛解」と言っています。



自分の限界と言うか、自分で「あ、マズイな」と言うことが
わかるようになっただけで、自分で最悪の状況になることを避けたり、
とにかく状況を観察してみたり、
と対処法を学んできたのでかろうじて再発はしていない状態。


なんて言いながら、ストレスが溜まると鼻血がでるようになりましたけども(笑)

逆に完治や治癒、ということは、
私の繊細で真面目な部分がなくなってしまうのではないかと
少し怖い気もします。


無神経や神経の図太いひとに憧れたこともありますが、
そうするともはやそれは私ではなくて。


傷つくことも多いけれど私を創ってきたひとつのパーツだからこそ
手放せない部分でもあります。



例えば胃腸が弱い人なら、
調子が悪ければ消化の良いものを食べたり、温かいものを食べたり、
時には食事を抜いて胃腸を休めるかもしれません。

そして「また胃腸やっちゃいまして」と言われたら
「ああ、また体調崩したのね」となると思うんです。

それにそんな人に「胃腸を強くしなさい」と言っても無理な話だと思いませんか?
たぶん「できるもんならやってるわ」と言われそう。



私にとって自律神経失調症は足首の捻挫と同じ、
やったものは仕方がない、それも私の要素として生きていくしかないかな、
と開き直りはじめてたりして。


身体の免疫力が人それぞれなように、心の免疫力も人それぞれ。
何が辛くて、何が楽しいか、なんて自分にしかわかんないし。

とりあえず、これからも寛解状態の継続を目指して
自分を甘やかしてみようかと思います。

2020年09月16日 | カテゴリー: 自律神経失調症

こんな記事も読まれています