私たちについて | Office Aina

「傷つきながら働く人を"0”に!」
厚生労働省人材開発支援事業
「企業内キャリアアップ面談」「人材育成企業内研修」担当

私たちについて

ご挨拶

『傷つきながら働く人を“0”に』

頑張る人ほど空回り。

人事担当者として、新入社員の命を守れなかった過去。
自分の命を失いそうになった自律神経失調症。
そして、尊い命を守れた経験。
今、大学や厚労省のキャリアコンサルタントとして…

私は過去に大切な新入社員の命を守ることができませんでした。
私は自分を責めました。
私ができることを色々な理由をつけて行動に移さなかった結果ではないのか?

立ち直れなかった私。
しばらくして「もしまた同じような状況になったとしても、同じことを繰り返すことだけはしない」と心に決めることで、前を向いて進めるようになりました。

仕事で深く傷ついている方のお話を聴く機会や関わりが増えていく中で、新入社員の命を守れなかった経験が蘇ってきました。

そこで私は、傷ついているであろう彼と繋がりを持ち、とにかくあなたのことを気にしている人がいるのだということを彼に伝え続けました。結果、いつの間にか仕事にも慣れ、私が声をかけなくてもなんとか過ごせている彼の姿をみて一安心。

ある日、そんな彼が、「今の僕がここにいるのは田上さんのおかげです、ありがとうございました」と、涙ながらに握手しながら伝えてくれました。彼の手のぬくもりを今でも忘れられません。

決して大きなことではないけれど、自分のできることを行動に移したことで彼の命を守ることができました。
そして、私の中で少し肩の荷が下りた瞬間でもありました。

ところが、今度は私自身が上司からのパワハラに苦しみ、命を失いそうになりました。
ただ目の前のことを一生懸命頑張っていただけなのに、上司に振り回され、ストレスを溜めに溜めました。
あのときの私は誰一人として私の味方ではない、と思い込み、自分で自分を大切にすることを忘れていました。
35歳で自律神経失調症と診断され、人生の歩みを一度止めました。
「働くことに意味があるのか?」そんな事ばかりを考える辛い時間が続きました。

暫くして自分を取り戻したころ、ふと思ったのです。
「そうだ!傷つきながら働く人をなくそう。命の尊さを見失うほど、辛い働き方をなくそう!」

助けることができた彼の言葉に支えられ、そして一人で頑張り続けている人の少しでも力になれれば、と
2011年、キャリアコンサルタントになりました。

幸いにも多くの人とのご縁に恵まれ、

  • 大阪市立大学 キャリア支援室 キャリアカウンセリング・就活支援に従事
  • 大阪府教育庁 就職支援コーディネーターとして府立高校生の就活支援に従事
  • 厚生労働省人材開発支援事業による 企業内キャリアアップ面談の実施
  • ECCアーティスト美容専門学校 就職対策(正課授業)非常勤講師
  • 京都先端科学大学 キャリアデザイン(正課授業) 非常勤講師

などの経験を積ませていただくことができました。

私自身、働き方の多様性、自分に合った環境で働くことや人を大切にする人たちと出会うこと、
そして何よりも、人を支える重要性と人に支えてもらう大切さを、身をもって感じています。

そして今は『傷つきながら働く人を“0”に』というミッションを掲げ、
そんな社会の実現を目指して、みなさんのお話を聴かせてもらっています。

すべての人が自分に正直に、自分が大切に思うことや楽しいと思うことを仕事にできたなら。
そんな考え方で、お客様が自分に合った環境に巡り合うお手伝いをしています。
あなたは一人ではありません。どうか尊い命を大切にしてください。

この言葉が私の原点です

「今の僕がここにいるのはあなたのおかげです」

この言葉が私の原点です。
人目をはばからず私の手を握り、涙を流しながらこう言ってくれた人がいます。
この言葉をもらったとき私は、「今度こそ命を守ることができたのだ」と
身体がふーっと軽くなったような気がしました。
「私にできることなんてないんじゃないか」
そんな風に思ってしまいそうなとき、今でもこの言葉が、私の背中を押してくれます。

コロナ禍でのオリンピック開催について議論が起こっています。
大切なのは、命でしょうか?それとも経済…?

今、アルバイトの機会が減るなど、大学を辞めざるえない学生さん達がいます。
彼らのキャリアはどうなるのでしょうか。

そして、モンスター上司の元で仕事をする人もたくさんいます。
大切なのは上司の評価や会社の成果でしょうか、それとも、命でしょうか?

命とキャリアについて、私はずっと考え続けています。

私には、助けたかった命がありました

私は大学を卒業して入社した会社を2年足らずで退職したのをきっかけに、8年間で5回の転職を経験しました。
それでもずっと人事で仕事をすることにこだわり続けました。

私がサラリーマンをしていた頃、うつ病で休業する社員の手続きをすることも少なくはありませんでした。
しかし、今ほどメンタルヘルスも知られてはなくて、どことなく
「メンタルでダウンするのは弱い人間だからだ・・・」
「メンタル不調は本人の問題でしょう・・・」
こんな空気が漂っていた時代でした。

当時の私の人事としての一番大きな仕事は新卒採用の業務でした。
私は木質建材メーカーに勤めており、メインの商品は住宅のフローリング。
一般の方には社名の馴染みもない中、優秀な学生を採用するのは至難の業でした。

そんな中、魅力的な人材を採用するため、多くの時間を採用活動にかけました。
約1年をかけてエントリーの段階から最終面接まで対応し、
入社の手続きや健康診断の案内に至るまで、何度もやりとりをしながら内定までお付き合いしてきました。

それだけの時間を彼らに割いてきたわけですから、当然入社の頃には彼らに愛着がわいてきます。
やりとりを通じて彼らの人となりも何となく理解でき、姉のような母なような気持ちでいろいろとお世話をしていました。

入社式を終え、研修を終えれば、新入社員たちは無事それぞれの配属先に巣立っていきます。
巣立ってしまえば人事として関われる時間はほとんどなくなってしまうのですが、私には1点気がかりなことがありました。

それは新入社員のMくんです。
Mくんは関西で生まれ育ったのですが、東京支店に独り配属されてしまったのです。
配属先のメンバーやMくんの性格を考えると違和感を覚えずにはいられませんでした。

たかが人事の主任ごときの私が組織人事に口出しをすることもできず、Mくんのことが気になりつつも
「本社の人事の人間には本音なんて話してくれないだろう」と勝手に思い込み、声をかけることすら諦めていました。
そんな日が過ぎていく中で事件が起こってしまいました。

ずっと気になっていたMくんが自ら命を絶ってしまいました

その言葉の意味を理解するまでに時間のかかっている私と、「やっぱり・・・」と感じる二人の私が存在しました。
私の中に違和感があったのに、勝手に関わることを諦めてしまったために守れなかった命です。

もし、あの時声をかけていれば、
あの時話を聞いていれば。
ひとつメールを送っていれば。
そもそも私たちが採用しなければ彼はいまでも生きていたのではないか? 

「たら・れば」を繰り返しても、もうどうにもならないことなのに、
何もできなかった、何もしなかったことをこれほど後悔したことはありません。

あの時声をかけていれば何か違っていたのかもしれない。
これは私の中で悲しく大きな後悔になりました。
残されたご家族をはじめ、友達や仲間たち、
なによりMくん本人の気持ちを思うと、今でも胸が苦しくなります。

私ができることがあったはずなのに、行動に移さなかったから守れなかった命。

後悔や悲しみだけでは表せない色んな気持ちを経験しました。
「部下や新入社員を自死で失くす」という、こんな辛い悲しい思いはもう誰にもしてほしくない、
誰もこんな思いをする必要はない、と心の底から願い祈っています。

助けることができた命があります

そして、反省というか後悔の時間が過ぎて行く中で、「同じことは繰り返したくない」ということだけは強く心に決めていました。

その頃、私が採用に関わった新入社員Yくんの噂が聞こえてきました。
配属先の直属の上司との関係が上手くいっておらず辛そうだ、と。

社内の人間からするとその上司がクセモノであることは周知の事実。
でもどうすることもできず、結果Yくんを大阪に異動させるという苦肉の策をとりました。

YくんはMくんの真逆で、関東で生まれ育ち今まで関東圏から出たことのない人。
Yくんの異動の話を聞いた途端に私には嫌な記憶が蘇ってきました。
そうです、Mくんのことです。

同じことは繰り返したくはない

だから今回は空回ってもウザがられてもいい、私の自己満足であってもかまわない!と覚悟を決めて、Yくんにメールを送りました。
「私が本社人事の人間なので話しづらいとは思うけれど、いつでも話を聞くからね」と。
案の定、本人も「人事の人間には・・・」的なことを言っていましたが、まずはYくんと繋がりを保つことから始めました。

4月になりYくんは単身大阪にやってきました。
勝手にこの子の命は守らねば!と謎の義務感というか使命感に燃えていた私は、
「お節介おばさん上等」とYくんに声をかけまくりました。

「元気?」「大阪は慣れた?」「社員寮はどう?」「仕事は慣れた?」
今から思えばYくんにとっては鬱陶しいことこの上なかったとは思いますが、
Yくんに「あなたのことを気にしている人がいるよ」とアピールをしていました。

また営業志望だった彼が営業から企画に異動になった経験を会社説明会でリクルーターとして話してもらうなど
「あなたの経験はマイナスではないよ」と感じてもらえるような場の提供も心掛けました。

次第に顔つきも変化して行ったことや
大阪の同期や先輩たちと上手くやっているのを見るようになったので
お節介おばさんはフェイドアウト。

後に私は自律神経失調症で退職をすることになるのですが、
有志の方だけで開いてくれた送別会にYくんは参加してくれました。

最後に泣きながら
「今の僕がここにいるのは田上さんのおかげです、ありがとうございました」
と言ってギュっと握手してくれました。

「ああ、彼の命は守れたのだな」

そのとき、やっと肩の荷がおりたような気がしました。

私には、人事だから話をしてくれるわけがない
と勝手に思い込み、できることがあったにもかかわらず
何もしなかったことで助けられなかった命があります。

二度と繰り返したくない、その思いだけで助けられた命もあります。
人事として、そして一人の人間として何ができるのか、
何をすべきかを考えさせられる、そんな経験でした。

絆が失われた時…

社会に慣れている人でも、仕事が原因で尊い命を自ら絶ってしまうことがあります。
新人、社会に慣れていない人がそうなることは、社会人としての先輩なら気づいているはず。
私は自分自身が自律神経失調症になった時、誰も味方がいない、誰も応援してくれない、誰も見守ってくれない。
そう強く強く感じました。

『傷つきながら働く人を“0”に』

助けられなかった命の体験で、まわりで多くの方が傷ついたことを見てきました。
声にならない痛みを聞いてきました。
取り返しがつかない場を感じてきました。

職場の人間関係、ストレスで傷つく人がいるのです。
もうこれ以上傷つく人を増やしたくないのです。
ひと声、見守る姿勢、寄り添う気持ちを。
どうか絆を繋いでください。
『傷つきながら働く人を“0”に』

実績

  • 厚生労働省 人材開発支援事業 企業内キャリアアップ面談 200人
  • 厚生労働省 人材開発支援事業 人材育成企業内研修 3社
  • 大阪市立大学 就職支援室 キャリアコンサルタント 
  • 京都先端科学大学キャリアデザイン 非常勤講師
  • 大阪府教育庁就職支援コーディネーター
  • 株式会社ASキャリア主催 コミュニケーションスタイルチェック&チェンジセミナー 講師
  • 高校生向けフリーターガイダンス講師
  • ECCアーティスト美容専門学校 非常勤講師
  • 京都JPはあとふるカレッジ 就職対策講座講師