求めることを我慢した私
褒められることが苦手になった根っこには、
「自分の気持ちを出すと、母を困らせるかもしれない」
という思い込みがあったのかもしれない。
私の記憶の中にある、母の背中はいつも少し遠くにある。
幼い私は、お気に入りの本たちを並べて、小さなお城を作っていた。
重ねた本の空間の中で、自分で物語を作ったりして、
自分の好きなものに囲まれて遊んでいた。
その中に大好きな母も入ってほしかった。
でも、母は少し離れた壁にもたれて、静かに本を読んでいた。
母が自分の時間を大切にしているように見えて、声をかけるのをためらった。
「お母さん、見て!すごいでしょ?」
何度も口を開きかけて、閉じた。
「いま、言ったら、邪魔になるかな」
「もしかしたらお母さんは私と遊びたくないのかもしれない」
そう感じた瞬間、自分の心になにか幕がかけられたような感覚になった。
「母を困らせてはいけない」
本当は見てほしかったのに、見てもらえなくても仕方がないと思うようになった。
それでも私は、母が見てくれやしないかと
淡い期待を抱きながら、何度も母の方を見つめていた。
その時から、「本当の自分は認めてもらえない」という小さな思い込みが、
心のどこかに住み着いた。
そして「いい子」でいることが、母に愛されることだと思い込んだ。

でも、どんなに我慢していても、心の奥ではずっと
「私のことを愛してほしい」と叫んでいた。
ー守られなかった私と、心を守るための「無」ー
中学生のころ、母に
「いじめられている、学校に行きたくない」と自分の気持ちを伝えた。
勇気を振り絞って伝えた言葉に、返ってきた言葉は
「いじめられる方にも原因がある」だった。
その言葉の冷たさに「私は守ってもらえないんだ」と
絶望するのは簡単なことだった。
母に気持ちを伝えても届かない、求めても応えてもらえない。
その経験を重ねるうちに、私は少しずつ「感じない」ようにしていった。
どうせわかってもらえないなら、最初から求めなければいい。
そうして私は、「心を守るための方法」を手に入れた。
感じないようにすること

それは、痛みを避けるための私なりの知恵だった。
でも同時に、それは「喜び」も一緒に感じなくなる方法でもあった。
大きく傷つくよりは、だいぶマシ。
あの頃の自分が、どうやって毎日を過ごしていたのか、あまり思い出せない。
母親に守ってもらえない自分が、可哀想だとどこかで感じながらも、
その想いを認めたら自分が壊れてしまう気がして、ただ「無」になろうとしていた。
唯一、お風呂の時間だけは私の時間だった。
好きなアイドルの歌を歌って、非日常の物語を思い浮かべる。
その時間が何とか私を支えていたように思う。
そして、お風呂の種火を消すために外にでたとき、夜空を見上げながら
「ああ、私の悩みなんて小さいものなんだな」と思うことで、
何とか毎日をやり過ごしていた。
感じないようにして生き延びてきた
それがいつの間にか、当たり前になっていた。
辛いことを笑って話すのも、その一部だった。
自分では気づいていなかったけれど、
心の奥では、小さな私がずっと泣いていたのかもしれない。
そして、キャリアコンサルタントとして学び始めてからーー
ようやく、自分の内側の声に気づけるようになった。
心の奥で泣いていた「小さな私」に、
まだ「だいじょうぶ」と声をかける勇気はない。
それでも、その存在に向き合ってみたい、と思えるようになった。
少しずつ、自分の世界に「色」が戻り始めていた。
誰かに逢うことが、楽しみになっていくなんて、あの頃の私には想像もできなかった。
そんな私の心をもう一度そっと動かしてくれたのはーー
ひとりの歌舞伎役者だった。
求めることをやめて、何も感じないふりをしてきた。
本当は求めたかった。
でも、その気持ちを認めることが怖くて、ずっと見ないふりをしていた。
いま思えば、あのときの私の中で、
すでに何かが静かに動き始めていたのかもしれない。
それに気づけるのは、もう少し先のことだった。

