「感じることを取り戻した私」
― 尾上右近さんが教えてくれた、「心が動く」ということ ―
ー再び、心が動く瞬間ー
2018年。
人生で一、二を争うほど頑張っていた時期。
ずっと目標にしていたフラダンスの大会に向けて全力を注いでいたその頃、
ふと観た「ワンピース歌舞伎」で歌舞伎役者・尾上右近さんに出逢った。
ただ、ただ、「この人のハンコックが観たい!」と心の中でなにかが跳ねた瞬間だった。
ー全力で生きる姿への共鳴ー
ハンコックを観るために、何度も劇場に足を運んだ。
「好きなことを全力で楽しむ」ってこんなにキラキラするんだ、そう思った。
その姿が、フラで全力を出し切ろうとする自分とも重なった。
それと同時に、「頑張らなきゃ」に押しつぶされそうになっていた私には、
歌舞伎の舞台は「非日常的な時間を過ごす場所」でもあった。
フラに打ち込む時間と、歌舞伎を観る時間。
そのどちらもが、私の心のバランスを保ってくれていたのだと思う。
そして、目標に向かって全力で生きる、自分の好きをぶつける、

「自分の気持ちに正直でいいんだ!」
本当の気持ちを誤魔化すことなく、表現することーー
私の中で何かが変わり始めた瞬間だった。
ー会いに行く勇気ー
大阪・松竹座での公演、片手で足りないくらい観劇した。
観れば観るほど、情熱を何かにぶつける感覚が伝わってきた。
会場全体を巻き込んで盛り上がる、「楽しんでいいんだ」という感覚を味わった。
名古屋・御園座へは、フラの前に観劇してレッスンへはテンションを上げて行った。
それは単に「推しに会いたい」ではなく、
「あの場所に行くと、自分が生きている」と感じられるからだった。
それまでの私には、感じないまま過ぎていく時間があった。
でも、尾上右近さんの舞台を見ている間は
心に響いて、笑って、泣いて、
「ああ、私、まだ感じることができるんだ」と実感する時間だった。
あの頃の私は、「観たい」「感じたい」と理屈じゃなく、心のままに動いていた。
だから、逢いに行くという行為は、
誰かに逢いに行くというよりも、
「自分の心の温度」を感じに行っていたのかもしれない。
ー「ありがとう」が心をやわらかくしたー
何度も劇場に足を運ぶうちに、人生で初めての出待ちを経験した。
出待ちをしている人たちにも、舞台の余韻と笑顔に溢れていた。
そんな中、尾上右近さんは、ひとりひとりのファンの顔を見ながら
丁寧に対応されていた。
「写真は無理だけど、サインはするからね」
「今日は時間がないから、ごめんなさい、ありがとう」
その言葉に、優しさと誠実さがにじんでいた。
その姿を見て、私は「あ、ちゃんと人を見ている人なんだ」と感じた。
誰かを置き去りにしないーー
その在り方に触れたとき、私の中でじんわりと温かさを感じることができた。
そしてあの突然の尾上右近の夜、
彼に「ありがとうございました」と言われた瞬間、
目の前の霧が晴れ、胸の奥で何かが光ったような気がした。

「見てもらえた」という感覚が久しぶりに戻ってきた。
「私のこと、知ってくれている」と感じた。
今まで無視してきた「感じる心」がゆっくりと動き出した瞬間だった。
ー感じることを取り戻した私―
「誰かに見てほしい」という気持ちを、ようやく肯定することができた。
ずっと「本当の自分では褒められない」と思って生きてきたけれど、
尾上右近さんの全力で生きる姿勢が、
「自分の気持ちに素直でいていい」ことを思い出させてくれた。
あの夜の「ありがとう」は
「自分の気持ちと正直に向き合うこと」と「つながる勇気」を静かに照らしてくれた。
私の中の空っぽに何かが満たされていく感覚。
そしていま、心を閉ざしていた小さな私に
「もう、大丈夫だよ。出ておいで」と声をかけられるようになった。
自分の気持ちに素直に進むことーー
いまの私なら、きっとできそうな気がする。
あの夜の光景を思い出すたびに
もう一度、自分を信じて進んでみようと思う。

