親の顔色を見て育った・・・
一人っ子=ワガママなの?
突然ですが、私は一人っ子です。
一人っ子だと言うと「ワガママでしょ?」とか
「親に甘やかされて育ったでしょ?」と必ずと言っていいほど
言われます。
勝手な思い込みだなぁ・・・と苦笑いしながら、
相手のご期待に添えるように
「そうですね(苦笑)」と答えてるようにしています。
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確かに、習いたいと言った習い事はすべて習わせてくれました。
例えば、公文・エレクトーン・英会話・バトントワリング・書道・・・
中学になれば塾にも通わせてくれました。
大学も通わせてもらいました(色々制約はありましたが)
これを「甘やかされた」というのであれば、確かに甘やかされて育ったと思います。
でも欲しいと言ったものを何でも買ってもらえて、
好き嫌いしても怒られない状態を甘やかされたというのであれば、
私は甘やかされていなかったと思います。
逆にかなり厳しく育てられた方だと思います。
欲しいものはテストで良い成績を取らないと手に入らなかったし、
食卓に嫌いなものしかに並んでいたら白飯だけを食べろ、
という状態でした。
お茄子が嫌いな私は茄子の肉炒めが食卓に並ぶともう拷問でした(笑)
大人の中で育った
世間一般で言うような「わがまま」や「甘やかし」
と言うものに恵まれずに育った私。
一人っ子だと言うとたいてい驚かれます。
(兄弟、特に兄がいるように見えるそうです)
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私が幼い頃は母方の祖父母と同居していたので、
大人の中に子どもが1人、と言う状態で育ちました。
まあ、祖父はベタベタに甘やかしてくれた
記憶がありますが(笑)
大人の中に子どもひとり、という環境ですので
学校の友達以外で話をするのは祖父母か両親。
両親は共働きだったので帰宅後の私の面倒を見るのはほとんど
祖母でした。
おばあちゃん子だった私は祖母から色んな昔ばなしを
聞かされて育ちました。
話のほとんどは曽祖父母や祖母の兄弟の話でした。
私の祖母の親ですから生まれは明治時代。
明治時代なんて歴史でしか知らないよ(笑)と思いつつ
祖母が曽祖父から教えられたこと、今の道徳と言えばいいのかな?
を毎日、毎日聞かされて育ちました。
1日でも早く生まれたら尊敬すること
親を大事にすること
当たり前と言えば当たり前なのですが
小さい頃から毎日のように刷り込まれたわけですから
まあ、まず親に反抗することなんて考えつきません。
そして、うちの両親、ともにB型だからか
感情の起伏がハッキリしておりまして・・・
一触即発、みたいな時が多々ありました。
気付けばそんな雰囲気を察知した私は
おどけたりして両親が話やすい状況を作る努力を
するようになっていました。
元々の性格(HSP=ハイリー・センシティブ・パーソン)
というのも相まって、その場がピリピリするのが嫌で
何とかしようとしていたんだと思います。
HSP=ハイリー・センシティブ・パーソンとは
ひといちばい繊細な人、敏感な人 と言われています。
私は繊細です
と言いたいのではなく、この性質を持った人は
相手の機嫌の悪さや場の雰囲気の悪さを自分のせいだと感じ
その場での立ち居振る舞いを考えて動いてしまいます。
親を大事にしろ、という教えと
HSPだったこともあり、親の顔色を見ながら生きてきました。
親の顔色を見て育った結果・・・
親の顔色を見ながら、その場の雰囲気をよくする努力をする
その結果・・・
「親の期待する私」 を演じる癖がつきました。
それは結婚した今でも少し名残があるように感じます。
私の母の口ぐせは
「何かあれば親の顔が見たい」と言われる。
ひいては祖母の顔に泥を塗ることになるから
ちゃんとしなさい! でした。
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しかも、祖母から曽祖父がどれだけスゴイ人だったか、や
祖母の親孝行話を小さい頃から刷り込まれていたため
(今から思えば、かなり祖母の脚色があったような気もしますが)
おばあちゃん子の私は、祖母を悲しませたくない気持ちもあり
親に逆らうなんてもってのほか
親が求める子ども像
になることに何の疑問もありませんでした。
本来は喜怒哀楽がハッキリしていて
顔に思っていることが正直に出るような子でした。
(その上めっちゃ泣き虫でした)
いつの頃からか、親が求める私、親が期待する私を
演じることが当たり前になり、親に恥をかかせないように
いわゆる「イイコ」になるように頑張りました。
親の喜ぶ顔をみること
親の期待に応えること
それが私が生きて行く価値観となり
親が反対することは絶対にしない
そんな人間に育ちました。
自分が望むことと親が求めることが違っていても
親の求めることを優先して生きてきました。
もちろん悪いことばかりではありませんでしたが
何とも生きづらい時間を過ごしてきました。
親を大事に思うこと、と
親の期待に応えること、
そして親の望む子どもでいること、は
全然別物だと今更ながらに感じることになりました。
自分の足で自分の人生を生きていこうと決めるとき
いろんな葛藤が生まれると思います。
もし今、一歩を踏み出したいと思っているのであれば
お話を聴かせてもらえませんか?