落ちこぼれでも生きていける | Office Aina

「傷つきながら働く人を"0”に!」
厚生労働省人材開発支援事業
「企業内キャリアアップ面談」「人材育成企業内研修」担当

落ちこぼれでも生きていける



今日もよく頑張りました、今日も一日お疲れ様です。

お花を持った高校生を複数みかけて、
「ああ、卒業式か」となんだか感慨深くなってしまった2月の半ば。

卒業を迎えられた方、おめでとうございます。
子どもさんが卒業される方、おめでとうございます&お疲れ様でした。



私の推しグループの最年少(Snow Manのラウちゃん)も卒業式だった、
と話していて、「1年って早いなぁ・・・」と感じた。

って言うとなんか年寄りくさい感じもするけど(笑)


2月のこの時期は花粉との闘いに必死であり、
就活支援をしている私は就活戦線に学生を送り出すのに必死な時期。

だから「スタート」に向けて動いている気持ちの方が強すぎて、
久々に「卒業」と言う区切りにしみじみと感じ入ってしまった。



そしてついでに自分の高校時代を思い出してみたところ・・・
卒業式の日にカラオケで尾崎豊の「卒業」を全力で歌ってた。

「この支配からの卒業」ってフレーズを絶対歌ってやるーって決めてた・・・
って年代がバレるけど、それくらい支配下というかなんというか
堅苦しいというか肩身が狭いというか、窮屈だなぁと感じていた。


ホンマに3年間辛かった~(^▽^;)
いや、まあ楽しいこともそれなりにあったし、
サッカー部のキャプテンとの恋愛なんていう少女漫画みたいなこともあったし
親友もできたし悪いことばかりじゃなかったけど・・・

なによりも、他の学年と比べて先生が厳しかった_| ̄|○

学年集会で開始5分前に点呼完了してなかったら1時間ずっと正座で話を聴く、とか
体育の授業だったら体育館の端から端まで往復うさぎ跳びさせられてた
というのを思い出し、朝からどっと疲れた(笑)

それでも高校を卒業するって少し大人になった気もするし、
実際に今年から18歳が成人ですしね、名実ともにオトナだ。


私が高校生だったころを考えるとオトナと言われるのは
まだまだ怖いような気もするけど、今の人たちはどうなのかな?

クラスでビリッケツだった高校時代



実は、中学時代は自分でも勉強はできた方でクラスでは3~4番、
13クラスある学年全体では30番前後の成績を修めていた。うん、悪くない(笑)

志望高校は英語での面接もあったけど笑顔で乗り切ってもちろん合格。
・・・とここまでは頭の良かった私の話。



高校進学後に状況が一変。

入学した日に「あなたたちは大学受験をする受験生です」と
喜ぶ間もなく3年後に向けてのスタートを切った、
というか切らされたという方が合っているかも。


キラキラした女子高生生活を想像していたにも関わらず、
現実はせいぜい駄菓子屋さんに寄り道するくらいで、
スカートを短くすることも髪の毛をカラーリングすることもなく、ただ勉強と部活の日々。

しかもバス通学だったので時間もかかった。

バス停で待っていたら向かいの工業高校の生徒たちに
「オネーチャーン、バス待ってんのー?」と」声をかけられたりと、
それなりに楽しい毎日だったけど(笑)



それを凌駕するくらい理不尽な担任の先生に暴言を吐かれた毎日だった。
英語科だったので入試に英語も日本語も面接があったんだけど
あなたが合格したのは笑顔が素敵だったからよ、と高1の時の担任に言われた。

笑顔がいいからってだけで合格できるんやったら、
笑顔だけで世の中たいてい渡っていけるわ、と思うけど。

実際に三者面談で親にもその担任の変な屁理屈で下された私の評価を
滔々と語られた記憶がある(母親は「で?」みたいな感じで冷めてた)


勉強ができない=人間性も低い という
その担任の勝手な価値観で酷い扱いを受け続けた結果、

私がいちばん最後だ、頑張らないと生きていてはいけない
という価値観を植え付けられたのは以前べつのところでお話したとおり。

「オマエは落ちこぼれだ、出来損ないだ」と
自己肯定感を木っ端みじんに砕かれながら、それでもなんとか生きてきた。


今から思えば16歳の女の子に、
よくもまあ、あれだけ自己肯定感の低さを植え付けることができたなぁ、と。


しかもその理由の一端が、高1のときの担任の不倫相手の体育の先生が
私に優しいからっていう理由だったらしい。

単なる嫉妬ってことやん?ドウイウコト!?と言うのを知ったのは
4年後の教育実習のとき。
謎が解けてスッキリしたけど、違う意味で脱力した(笑)


そんな先生に巡りあってしまったのは不幸で、
特に勉強ができなかった私は、自分の意見を言っても受け入れてもらえなかったなぁ・・・

だから「どうせ私なんて」ていじけてた部分もあったかもしれない。
それでも明るく振る舞ったり、気にしていないような顔をして毎日学校に行っていたなぁ。

振り返れば誰もいない成績ながらも、
なんとか3年間を過ごした私はFランとは言え大学へ。


唯一、大学へ進学した、落ちこぼれでも大学に行けるんやぞ
ただそれだけが先生に対する矜持だったのかもしれない。


中学時代とは比較できないくらい、高校で落ちこぼれになった私。
でも、きっとこの歳になったいま、一番勉強しているのは私なんじゃないかと思う。

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