「できない」って言ってもいいよね? | Office Aina

「傷つきながら働く人を"0”に!」
厚生労働省人材開発支援事業
「企業内キャリアアップ面談」「人材育成企業内研修」担当

「できない」って言ってもいいよね?

「できない」が言えなかった
できないニャ


この年齢になって、できるようになったことがあります。
それは「できない」と言葉にすること。


子どもたちと関わる機会に恵まれた私が決めたことは
カッコつけないでできないことも知らないことも
正直に伝える、と言うこと。


結果がどうなるのか見えてはいなかったけど、
何となく、カッコつけずに正直でいようと
素直にチャレンジしてみたくなったのです。



子どもたちは色んな遊びで私に挑戦してきました(笑)
もちろん私ができることもありますが、ルールを知らない遊びや
ウン十年ぶりにやる遊びもありました。


そこで素直に、子どもたちに「わからないから教えて」と言うと、
我こそは!と教えてくれました。

「こんなんもできへんのー」なんて憎まれ口をたたきながらではありましたが、
なんだかんだと優しく教えてくれました。


きっと子どもたちは「この人できないんだ」なんて気持ちもなく、
その場を一緒に楽しむことを優先してくれたように思います。


何回かこんな時間を過ごしていくうちに、
私は心が晴れやかと言うかスッキリしているなぁ、と感じました。

「できません」と言うことの気持ちよさを知ってしまいました(笑)



大人相手だと「できません」と言うことは
相手に失望されるのではないか?

こんなこともできないと思われるのではないか?
という恐怖心が芽生えてしまう。


例え子ども相手でも「無理をしない」と言うことをやってみて
誰かを頼ってもいいんだ、できないと言ってもいいんだ
と感じることができました。


大人の中で育つということ
なに考えてんの?


私は一人っ子で、両親・祖父母・叔母が同居する
大人ばかりの中で育ちました。
だからでしょうか、その場の雰囲気を感じ取り、
人の顔色を見て自分がどう行動するかを考えて生きてきた。


そして周りが大人ばかりだったから、物心ついた頃から
「できません」と言うことを許されていなかったのではないか?


私は幼稚園時代に鉛筆でお手本のひらがなを練習する
いわゆる習字を習い始めました。

一生懸命書いたってさすがに幼稚園児ですから間違えることもよくありました。
(特にめとぬとか、わとれとか、ややこしいやつ)


間違えると監督者である祖母に「間違えたから消してください」と
お願いに行って字を消してもらうんです。

その時に詳細の言葉までは覚えていませんが、
嫌味のひとつやふたつは言われていたように覚えています。


たぶん私の母と比較して、
「〇〇(私の母)はそんな間違いはしなかった」、
「〇〇(私の母)は書道で表彰されたんだ」など、
祖母から見て母がいかにできた娘だったかを説かれていたような気がします。


ずっと母と比べられて、如何に私ができないのかを
幼稚園児の時から刷り込まれていくわけですから、
「間違えること=悪いこと」だと幼き私は悟りを開いたようです。


今から思えば祖母は物のない時代・戦後を生き抜いてきた人ですから、
モノを大切にするという教えも含まれていたのかもしれません。


しかし、幼稚園児の私にそれを理解させるのは無理難題。
そんなことが繰り返されていくうちに、

やがて私は「間違えないようにする」能力と身に付けていくことと、
「間違えた時はどうやって誤魔化すか・言わずに済ますか」
と言うことを考えるようになりました。


そして怒られないように行動するようになり、怒られることも苦手になりました。


そしてこの経験は字を間違えるだけでなく、
私が正しいと思っていることや価値観、
社会でのルールなどから外れていくことすら許すものですか!
と言ったものになっていきました。


すでに小学生時代に「できな~い」と言って投げ出すことや
「間違えた~」と言うことができない人間として完成されていたのかもしれません。

甘えてみてもいいかもしれない


私は、自分が「できません」と言えないのは当たり前ですが、
人が「できません」と言うことも理解ができなくなっていました。

それこそ嫉妬されて意地悪されたときなんて
「自分が努力しないのに人を妬むんじゃねー!」と思ってました。




「自分でやれることは自分ひとりでする」という
環境で育ってきた私は、
人に助けてもらうことや人を頼ること、
人に甘えることをあまり良いとは考えておらず、

また「できないのであればできるように努力すればよい」
という価値観のもとに生きていました。


自分にも厳しいけど、他人にはより厳しく見えますね、これじゃ。

また、「できない」と言うことは「負けること」とどこかで思っていたのか
本当にできないと思うことには最初から挑戦しない狡さも持っていたり。

「できないかも~」なんていいながら、
必ず最後までやり遂げていくスタイルを貫いていました。


よく言えば責任感が強かったのかもしれません。
ひとりで色んなものを背負い込んでしまう癖は今でもあります。



そして人を頼ることや人に甘えることは今でもとてもへたくそですが、
もし今以上に、人を頼ることや人に甘えることができたら
私はどうなるんだろう?という興味が湧いてきました。


少しずついろんな経験をして、いろんな学びを重ねて、
人に頼っても・甘えてもいいの・・・かも?と思うようになりました。

自分で全部やり切る責任感や力ももちろん必要。
それが今までの私を創ってきたので自分で否定はしません。


そして人を頼って、人に甘えることができたなら、
今まで自分が見ていた世界以上のものが見えるのかもしれない。

誰かに助けてもらうために「できません」って言ってもいいし、
自分で頑張るために「できません」って言わなくてもいいし。


大切なのは「言えない」のではなく「言わない」。
私自身に、あなた自身に選択権があるかどうか。


できてもできなくても、自分の気持ちに素直になって
甘えてみるのもいいかもしれません。

2020年09月1日 | カテゴリー: 親との関係