嵐のこと
嵐のこと
毎年、ゴールデンウィーク明けのこの時期は、
自律神経失調症になった時のことを思い出すのですが、
今年はそうはいきませんでした。
なぜなら・・・
あらし!嵐っ!!嵐が活動終了するんですっ!!!(決して解散ではありません)

私が自律神経失調症になり、お家で廃人のような昼夜逆転の生活をしていた頃、
近所の幼稚園から毎日のように聞こえてきたのが嵐の『Believe』でした。
毎日昼間にヘビロテで聞こえていたことや、
ちょうど友人に誘われて嵐のライブに参戦するかも、
という時期でもあったので、嫌でも気になったわけです。
歌詞の中に
そう 誰かがきっと待ってる 伝えたくって待ってる
どこまでも続いてゆく道で
明日に向かって輝く この夢ずっと追いかける
声をからして 進んでゆく
–Believe 2009/03/04–
と歌っている部分があり、なぜかその頃の私には響いたらしく。
『そうか、きっと私も誰かが待っていてるんだ』と勝手に思い込み、
何とか社会復帰しなければ、と少し前向きになれたキッカケでした。
伝えたいこと言えているだろうか

推し活をしていると『推しは推せるときに推せ』とよく目にします。
6年前、嵐の活動休止の発表の時、本当にそう思いました。
2020年、コロナ禍で歌舞伎が中止になったときにも思いました。
そして今回も・・・
『推しは推せるときに推せ』を改めて痛感しています。
ただ嵐に関しては、こちらからの感謝の気持ちを伝える時間
(と勝手に受け止めている)を取ってもらえることは
とてもありがたいと思います。
ただ、昨今の芸能界を観ていると、
突然何も伝える術が無くなることもありますよね。
でもこれって普段の生活でも同じかもしれない、と思うのは私だけでしょうか?
自分の親はいつまでも元気で生きていると思ってるし、
パートナーだってなんとなくずっとそばにいる気がする・・・。
親友や友人だっていつでも会えるなんて思っていると、突然その糸を断ち切られることがある。
普段の何気ない『おはよう』が最後になることもあるかもしれない。
『いってらっしゃい』が最後の会話になるかもしれない。
私の旦那は24歳のとき、大学時代の友人が突然亡くなったそうです。
役員秘書をしていた頃、夕方に予定の確認をした役員の方が
翌日亡くなってしまったこともあります。
新入社員を自死で失くしたこともあります。
そして大切なメンターのおじ様も、突然いなくなりました。
いつでも会える、と思っていたのに、感謝を伝えることもできずに終わりました。
もっと会っておけばよかった・・・
もっと優しくしておけばよかった・・・
もっと話を聴いておけばよかった・・・
そんな経験を何度かしました。
以前、旦那と大きなケンカをしたことがありました。
ホンマに腹が立って許せへんわ・・・と思ったとき、
『今ここで二度と会えなくなっても後悔しないか?』
と自分の中の自分に問いかけていました。
後悔する!と思ったときは、自分から謝って関係を修復しました。
後悔しない!と思ったときは・・・1週間ほど無視しました(笑)
(ちゃんとその後仲直りしました)
今はまだ元気な両親、逢いたいと思っている友人、大切にしたいと思っている仲間、
感謝を伝えたい人や大切にしたいと思う人に
気持ちを伝える必要性を今回の嵐からの連絡で改めて感じました。

直接面と向かってじゃなくてもいいかもしれません。
今はSNSのツールもたくさんあります。
離れた人とでもコミュニケーションを取れる術がたくさんあります。
(ちなみに我が推、尾上右近丈にはお手紙で気持ちをお伝えしました)
『推しは推せるときに推せ』ではないですが、
ありがとうや大切に想っている気持ちを伝えるということを
もう一度考えてみてもよいのかもしれない、と思うのでありました。
みなさんの『ありがとう』を伝えたい人は誰ですか?